【資料】壬辰戦争を描いた朝鮮王朝時代の絵画資料

2019年6月24日、東京大学・史料編纂所で発表したものです。論文というほどでもないので、ここに公開します。ご関心のある方に参考になるとうれしいです。

 

壬辰戦争を描いた朝鮮王朝時代の絵画資料

 

*李廷修(イ・ジョンス)「壬辰倭乱・丁酉再乱の戦闘記録画研究(임진왜란과 정유재란의 전투기록화 연구)」(弘益大学校美術史学科・修士学位論文、二〇一六・八):この件に関した最も参考できる現代韓国の学位論文である
http://www.riss.kr/search/detail/DetailView.do?p_mat_type=be54d9b8bc7cdb09&control_no=c1a72ae34241b3abffe0bdc3ef48d419
*個別の文献・絵画作品に関しては、それぞれ書誌的な検討がなされる必要があり、特に、関係する挿絵が掲載されている諸文献の場合は、必ずしも書誌検討が徹底しているとはいえないのが現状であることを、この度の報告を準備する過程で改めて確認した次第である。

一.関係資料(概ね制作年代順)

㊀『東国新続三綱行実図(동국신속삼강행실도)』
・朝鮮王朝前期に制作された『三綱行実図(삼강행실도)』(一四三四年刊)・『続三綱行実図(속삼강행실도)』(一五一四年刊)に引き続き、壬辰戦争の際に現れた忠臣・孝子・列女らの事績を多く追加して一六一七年に刊行したもの

㊁『月澗蒼石兄弟急乱図(월간창석형제급난도)』
・一六五二年刊
・壬辰戦争の際に李㙉(イ・ジョン、이전)・李埈(イ・ジュン、이준)兄弟が経験した苦難とお互いの友愛を描き、賛美した文章を集めたもの

㊂「釜山鎮殉節図(부산진순절도)」・「東莱府殉節図(동래부순절도)」
・一七〇九年に制作された原本は焼失し、倭館を管轄する東莱府に所属した絵師の卞璞(ビョン・バク、변박)が一七六〇年に改模されたものが現存する
・壬辰戦争の緒戦に当たる一五九二年四月十三日(朝鮮側の旧暦、日本では旧暦十二日)に行われた釜山(ふさんかい)・東莱(とくねぎ)の戦いの様子を描く
・韓国陸軍士官学校内の陸軍博物館(http://museum.kma.ac.kr/)蔵
・韓国の宝物三九一・三九二号に指定されている

㊃「壬辰倭乱図屏風(임진왜란도병풍)」
・正確な制作年度は未詳
・和歌山県立博物館蔵
・「壬辰倭乱図屏風/六曲一隻/紙本淡彩/縦99.9/横204.0/19世紀/豊臣秀吉による朝鮮侵略は2度行われた。本図では、城に籠もる朝鮮軍と攻め落とそうとする日本軍(秀吉軍)の攻防を描いている。「東莱府殉節図」の構図と景観や戦闘描写が近いことから、文禄元年(1592)の「壬辰倭乱」(文禄の役)における東莱城の戦いを描いたのではないかとされるが、異説もある。最終的に朝鮮国の勝利に終わったこの戦争は、本図のように絵画化することで、朝鮮の支配者が民衆統合を行おうとしたのではないかとされている。」(同館の解説を引用)
https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/buke/byoubu.htm
・先行研究:蘆永九(노영구)「壬辰倭乱の初期の様相に関する既存の認識の再検討―和歌山県立博物館所蔵「壬辰倭乱図屏風」の新たな理解に基づいて(임진왜란 초기 양상에 대한 기존 인식의 재검토 - 화가산현립박물관 소장 「임진왜란도병풍」에 대한 새로운 이해를 바탕으로)」『韓国文化』三十一(ソウル大学奎章閣韓国学研究院、二〇〇三・六)
http://www.dbpia.co.kr/journal/articleDetail?nodeId=NODE00420312&language=ko_KR

㊄「平壌城奪還図(평양성탈환도)」
・正確な制作時期は未詳。十八世紀か
・民画風。
・一五九三年一月六日~九日(旧暦)にに行われた平壌城の戦いの様子を描く
・日本軍はもちろん、朝鮮軍の活動も実際より縮小されて描かれる反面、明軍の動きは誇張されていて、明への尊崇意識が読み取れる
・先行研究:崔栄真(최영진)『戦争と美術(전쟁과 미술)』(平和書閣、二〇一六、韓国)
https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=dapapr&logNo=220346014161&proxyReferer=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2F

㊅『梁大司馬実記(양대사마실기)』のうち、巻一「雲巌破倭図(운암파왜도)」
・一七九九年に国王の命によって刊行された。
・木版本
・壬辰戦争の際に義兵を率いた梁大樸(ヤン・デバク、양대박、一五四四‐九二)の事蹟を記録した本

㊆『北関遺蹟図帖(북관유적도첩)』のうち、「倡義討倭(창의토왜)」
・十七世紀末‐十八世紀初めの成立
・四一.二X三一CM
・高麗大学校蔵
・『北関遺蹟図帖』は高麗時代から壬辰戦争までの間に、韓半島の東北部に当たる咸鏡道(北関と呼ばれた)で行われた八つの戦争を描いた画帖のこと
・その最後の絵が、一五九二年にこの地域で加藤清正軍と戦った鄭文孚(ジョン・ムンブ、정문부、一五六五‐一六二四)率いる義兵の活動を描いた「倡義討倭」である
・先行研究:崔栄真(최영진)『戦争と美術(전쟁과 미술)』(平和書閣、二〇一六)
https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=dapapr&logNo=220246193773&proxyReferer=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2F

㊇「壬辰戦乱図(임진전란도)」
・一八三四年
・一四一X八五.五CM
・ソウル大学奎章閣韓国学研究院蔵
・画記「万暦壬辰後二百四十三年甲午六月日画師本府軍器監官李時訥」
・倭館を管轄する東莱府に所属した絵師の李時訥(イ・シヌル、이시눌)が、壬辰戦争の際にこの地域で行われた諸緒戦のことを描いた絵画

㊈『豊山金氏世伝書画帖(풍산김씨세전서화첩)』のうち、「天朝将士餞別図(천조장사전별도)」
・一八八五年頃
・壬辰戦争の終結後に帰国する明軍への餞別宴の様子を描く。絵の中に登場する猿部隊の存在が注目されてきた
・先行研究(一):『豊山金氏世伝書画帖』
https://terms.naver.com/entry.nhn?docId=2401398&categoryId=51398&cid=51398
・先行研究(二):安大会(안대회)「素沙の戦いで活躍した猿騎兵隊の実体(소사전투에서 활약한 원숭이 기병대의 실체)」『歴史批評』一二四(歴史批評社、二〇一八・八)
http://www.riss.kr/search/detail/DetailView.do?p_mat_type=1a0202e37d52c72d&control_no=641f9bbe099d1a63b7998d826d417196

二.参考資料

㊀ 『艮斎集(간재집)』のうち、卷之二「上行在疏並図」所収の「亀甲船図」
・ 李德弘(イ・ドクホン、이덕홍、一五四一-九六)の文集
・『艮齋集』の本集・続集は一六六六年に制作され、一七五四・六六年に重刊された
・戦術を論じた卷之二「上行在疏並図」に亀甲船の内部の簡略図に掲載されている。亀甲船の内部図面としては唯一のもの
・先行研究(一): Jang Hak Gun(장학근)「軍船としての亀甲船の役割と基本構図(군선으로서 거북선의 역할과 기본구조)」『順天郷大学校李舜臣研究所・二〇一〇年度李舜臣学術ゼミナール』
http://scholar.dkyobobook.co.kr/searchDetail.laf?barcode=4010026196500
・先行研究(二):李載坤(이재곤)「艮斎・李德弘の註釈書の撰述と壬辰倭乱の克服意識(간재 이덕홍의 주석서 찬술과 임란 극복의식)」、安東大学校教育大学院漢文教育専攻修士学位論文、二〇〇〇・八
http://www.riss.kr/search/detail/DetailView.do?p_mat_type=be54d9b8bc7cdb09&control_no=ae78ebd80144f5c8

㊁『李忠武公全書(이충무공전서)』「巻首・図説」中の「亀舟」二枚
・王命によって李舜臣(イ・スンシン、이순신)の文章を一七九五年に編纂したもの
・「巻首」の「図説」項目に亀甲船の絵が二枚収録されている
・先行研究:Jang Hak Gun(장학근)「軍船としての亀甲船の役割と基本構図(군선으로서 거북선의 역할과 기본구조)」『順天郷大学校李舜臣研究所・二〇一〇年度李舜臣学術ゼミナール』
http://scholar.dkyobobook.co.kr/searchDetail.laf?barcode=4010026196500

㊂「水軍調練図(수군조련도)」各種
・朝鮮時代後期における水軍の訓練の様子を描いた一連の屏風で、現在二十点が確認されている。
・先行研究:YU Mi-na(유미나)「朝鮮後半期の統制営水軍調練図の研究―国立晋州博物館所蔵「統制営水軍調練図」屏風を中心に(조선후반기의 통제영 수군조련도 연구 - 국립진주박물관 소장 ≪통제영 수군조련도≫ 병풍을 중심으로)」『美術史学研究』二八一(韓国美術史学会、二〇一四・三)
https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART001866832

金時徳「韓国学の東アジア的な地平ー韓国学に利用できる文献の範囲について」(韓国語)

来週某所で発表する原稿です。論文化の計画はありませんので、ウェブ上に公開します。

金時徳「韓国学の東アジア的な地平ー韓国学に利用できる文献の範囲について」(2018.10.12.韓国語)

http://hermod.egloos.com/2231383

大島明秀先生の玉稿

ここ数か月の間、日本語向けのホットメールを開くことができませんでした。今日になってやっと接続しましたら、熊本県立大学の大島明秀先生より数点の玉稿が届いていました。すべて興味深い研究で、面白かったです。

大島明秀「志筑忠雄「三種諸格」の資料的研究」『シーボルト記念館鳴滝紀要』28(2018年3月)

大島明秀「村井琴山「痘瘡問答」(校訂版)」、青木歳幸著『史料・九州の種痘 : 「九州地域の種痘伝播と地域医療の近代化に関する基礎的研究」報告書』(2018年3月)

大島明秀「志筑忠雄「万国管闚」の文献学的研究」『雅俗』17(2018年7月)

なお、私の研究と直接関係を持つ論文の存在を教えてくださって嬉しかったです。日本の友人らのおかげで、海外でも日本学の研究を続けることができる。ひとえに感謝です。

石倉和佳「徳富猪一郎と阿部充家 : 大江義塾を中心として」『熊本史学』99、2018年4月

日本政治学会『年報政治学2018-I』のこと

日本政治学会『年報政治学2018-I』に拙研究への言及がありました。うれしい限りです。

「日本政治思想 <評者 中田喜万>
対象 井上泰至編『近世日本の歴史叙述と対外意識』勉誠出版、2016年

本書の主題のうち、特に力が注がれたのは朝鮮に対する意識であり、その歴史叙述である。(中略)しかも朝鮮出兵の記憶は意外な影響をみせて面白い。1806〜07年のフヴォストフ事件(文化露寇事件)を素材にし、それを誇張して大規模戦争の物語に仕立てた『北海異談』という実録本においても、朝鮮軍記物に言及されるという(金時徳)。そこには、ロシアと手を組んだ朝鮮が日本への復讐を図るという空想も盛り込まれる。(中略)
しかし、この大著の紙幅をこれ以上増やすわけにもいくまい。お仕着せの性急な総括が土台無理なのであろう。巨大なテーマを扱っているのである。分厚い論文集を以てしても、論じ尽くせる類のことではない。実際、同じ編者・関係者による、本書に関連する別の論文集も同時期に続々公刊されている。(中略)また金時徳・濱野靖一郎編『海を渡る史書ー東アジアの「通鑑」』(勉誠出版・アジア遊学198、2016年)。これらを現在進行中の一連の巨大な共同研究プロジェクトとしてとらえる必要があろう。」

新連載「文献学者の近代探検」をスタート

『朝鮮日報』週末版に、新連載「文献学者の近代探検」をスタートします。
いつものように慶応大学・斯道文庫の一戸渉さんへ感謝!

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2018/07/13/2018071301720.html?rsMobile=false

一冊の研究書と一冊の教養書

一冊の研究書と一冊の教養書が研究室に届きました。

高麗大学に在職中の蠔寛紋先生の『宣長はどのような日本を想像したか-『古事記伝』の「皇国」』(笠間書院、2017) : <こうしてみると、「韓」そのものの存在を否定し、「韓国」の字を排除したのではないということが分かる。ただ宣長は、当該文脈の理解に「韓」をかかわらせることはしなかった、もしくはできなかった。少なくとも宣長にとって、問題は「韓国」ではなく、全体の文脈にあったのである.>(89頁)

戦友・大島明秀氏の『細川侯五代逸話集』(熊日新書、2018) : 当時の人々にとって「史実」以上に「真実」であった「逸話」というもう一つの歴史"