「広島市立中央図書館本『通俗懲毖録』について-九四五年八月六日の原爆投下から生き残った、世界初の『懲毖録』翻訳本-」

「広島市立中央図書館本『通俗懲毖録』について-九四五年八月六日の原爆投下から生き残った、世界初の『懲毖録』翻訳本-」
(『日語日文学研究』一一二、韓国日語日文学会、二〇二〇・二)を日本語訳しました。ご興味をお持ちの先生方・友人はお声をおかけになってください。翻訳したファイルをお送りします。ご教示のほどをよろしくお願いします。ちなみに、ホットメールはもう使っていません。NAVERメールアドレスへのご連絡をお願いします。
 
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 <要旨>
 この論文では『通俗懲毖録』が再発見された経緯を報告し、その文学的・学術的な意義を検討した。
 広島藩の儒者であった金子忠福によって一七八三年に著された『通俗懲毖録』は、藩主の嫡男をはじめとする藩内の児童向けの教科書として企画されたものと見られる。広島市立浅野文庫に所蔵されていた『通俗懲毖録』は、一九四五年八月六日に米軍の原爆投下によって焼失したものと考えられていた。しかし、原爆投下の直前に図書館から疎開され、また、焼失を免れた文献に大きな損傷を与えた九月の水害をも奇跡的に逃れた『通俗懲毖録』は、二〇一五年に再びその姿を現した。
 一六〇四年頃に草本が完成されたと思われる『懲毖録』は、その後、十六巻本、木活字本、二巻本の段階を経て朝鮮のなかで広く読まれていく。そして、二巻本『懲毖録』が対馬・福岡を経由して学問の中心地であった京都に伝わり、一六九五年に訓点付きの四巻本『朝鮮懲毖録』として刊行される。その十年後の一七〇五年には、『朝鮮懲毖録』と日本・明の壬辰戦争関係文献の内容を融合した『朝鮮軍記大全』と『朝鮮太平記』という二点の軍記が同時発売されたことから、『朝鮮懲毖録』は刊行まもない時期からその意義が日本でも認められていたことと見られる。そして、一六九五年の訓点本や一七〇五年の通俗軍記を経て、今回は通俗本、すなわち、漢字・片仮名混じり文の翻訳本『通俗懲毖録』が著されたのである。これは、日本に伝わった中国の古典が訓点本を経て通俗本として翻訳出版されることにより、日本社会のなかで古典として定着していく過程と一致する。
 一七八三年に著わされた『通俗懲毖録』は、十九世紀末‐二十世紀初頭の間に製作されたと見られる諺解本(古典韓国語訳本)『光明翻訳懲毖録』より百年程先に著されたので、漢文(古典中国語)で著された『懲毖録』を、その他の言語に翻訳した最初の作品であることをも特筆すべきである。
 
 <目次>
 一.はじめに
 二.『通俗懲毖録』再発見の経緯、および現存状態
 三.『通俗懲毖録』の翻訳書としての特徴
 四.課題