雨森芳洲という人

翻訳とのために『たはれ草』をじっくり読んでいたら、外交官としてではなく、随筆家としての雨森芳洲の文章の面白さが改めて感じられたのは勿論のことですが、雨森芳洲という文人の世界観の普遍さをも再認識することができました。

林羅山も新井白石も、学者・政治家としては勿論すばらしいと思いますが、彼らの世界観からは、中国への劣等感からくる対立意識と、中国と日本とが対等であることを証明する材料(餌食)としての朝鮮国など、中国以外の諸国への歪んだ優越感というものが感じ取れて、どうしても素直に彼らの文章を読むことができません。それは朝鮮時代の文人の殆どに対しても同じで、近世の朝・日関係は、戦争史的にいえば、安定的ではあっても、真の意味の平和的な状態ではなく、そのような相互蔑視・没理解が近代以降の東アジアの歴史を予備したともいえるでしょう。

このような、劣等感からくる自国への優越感を克服し、自己・自国への肯定からくる透明な国際観を示す近世日本の知識人として、木村蒹葭堂とともに雨森芳洲を挙げることができると思います。朝鮮時代の場合は、『星湖僿說』を書いた李瀷(Lee ik)や、『熱河日記』を書いた朴趾源(Park Jiwon)などが対をなすことでしょう。あと、朝鮮国から日本に派遣された通信使の一部も。