関係設定

昨日は、江戸時代の書簡に関する発表を準備しながら一日を過ごしました。この分野は、留学の時は深く見てこなかった領域なので、今回の発表を準備する過程で、新しく学んだことが多々あります。また、書簡を研究するためには、書誌学・古文書学の両方を見るべきだということも知りました。古文書学も、留学の終了とともに勉強し始めたつもりなので、あれこれと新しいことを学ぶ毎日です。

この話を日本の友人とオンラインで話し合いながら、日本の知り合いの先生のお話を思い浮かべました。「これからは、文学を研究する人も古文書に詳しくならなければなりません」。当時は、この話を観念的に理解するにとどまっていたことを、今回知りました。この度、書簡のことを調べながら、この話の本当の意味を少しずつ、肌で感じるようになりました。この「悟り」が、今後の自分の研究にどのように反映されるかは、今のところ、分かりません。しかし、日本のテキスト文化に関して、自分の中で大きな絵が描かれつつあるのを感じます。

なお、このような問題意識から出発し、今後、東アジアのテキスト文化の脈絡を追う研究をすることになるのではないかと思います。もちろん、東アジアを第三者的な研究対象にする、欧米で活動する研究者は、基本的にこのような枠を持って研究をしています。しかし、研究対象である東アジアの内部で住んでいる私のような人には、東アジアの外で活動する彼らとは異なる研究方法が必要だと思います。内部で活動することから必然的に生じる、研究対象と研究者の間の「切り離せない」関係、その関係がもたらす「しつこさ」と「不透明さ」。そして、常に要求される、両者の間の繊細な関係設定の必要性など。研究対象となる地域の内部で活動する私には、このような環境的・感情的な特徴を必然的な条件としてよく理解し、その条件を生かす方法を見つける必要があります。