『「鎖国」という言説‐ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史』

熊本県立大学の大島明秀先生より『「鎖国」という言説‐ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史』(ミネルヴァ書房)を拝受。大島先生からは以前、拙著『異国征伐戦記の世界‐韓半島・琉球列島・蝦夷地』のご書評をいただいていましたが、今回、直接連絡を取り合うことができました。

さて、拙著へのご書評のなかで、大島先生は「著者は「征伐」を〈正当化〉する営為を主題としながらも、それが何だったのかという問いには十分に答えられていません。この問いは或る種、「〈日本人〉とは何か」という問いにも繋がる大きな問いで、私はそれこそを知りたいし、そのために研究をしているのです。」(http://myungsoo.blog106.fc2.com/blog-entry-78.html)とおっしゃいましたが、ご高著『「鎖国」という言説‐ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史』の「あとがき」を拝読し、このコメントの真の意味がやっと分かりました。

「私事になるが、筆者は現今の日本国において特別永住者として分類される存在として生まれた。〈日本人〉の差別的な言動や視線を受けながら、疎外感、やり場の無い怒り、諦め、そして暗い未来しか見えない毎日をただ堪えてきた。そういった筆者にとって、学問という場は学会報告、論文発表は勿論、少なくとも形式的には就職差別も無いことから、日本において人間として平等に扱われているという実感を得られた唯一の場であり、同時に様々なものを背負った人生との闘いの場でもあった。差別に抗いたかった筆者は、〈日本人〉を形成するものは何か、〈外国人〉に対してなぜ排他的なのかと、この国に住む〈他者〉として繰り返し問うてきたが(中略)現今の社会には自己象としての「鎖国」像が確かに浸透している。そして厄介なことに、「鎖国」は他者に対する排他的な閉鎖性の根拠(「島国根性」という言葉で表現されることも多い)とされる便利な道具でありながら、〈日本人〉の唯一性や優秀性、そして単一民族性を語る際に持ち出される道具ともなっている。いつから日本が「鎖国」国家として了解されるようになり、それが定着したのか。それらに矛盾を感じてきた筆者は、それまで実態研究が主であった「鎖国」を、近代日本人のアイデンティティを規定してきた言説として捉える歴史研究を開始し、ここに至った。」

 外国の留学生として日本に滞在した私と、歴史的な事情から日本に住むことになった大島先生とは、日本人には同じ「韓民族」として認識されるでしょうが、二人の見る世界は全く異なるような気がしました。私が拙著の中で日本を取り上げたのは、東アジアのなかの一つとしての日本という地域を研究し、そこから得られた知見を、今度は東アジアに投影するためでした。このような意味で、拙著における私の問題意識は、「〈日本人〉とは何か」ではなく、「東アジアとは何か」でした。これには、私の本籍が日本の外にあることが影響したのでしょう。自分のこのような問題意識が、日本の中の他者として暮らさざるを得ない大島先生の、「〈日本人〉とは何か」といった問いによって、よりはっきり見えてきた気が致します。二つのテーゼは相反することではないと思います。私事ですが、「研究は人がやるもの」という事実を体感するまでは、かなり長い時間と研究経験が必要でした。大島先生と私の問題設定の違いもまた、研究者の置かれた立場から生じたものであることをつくづく感じます。